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2016年4月26日 (火)

福沢諭吉と米

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国士舘大学21世紀アジア学部教授 ●原田信男

 幕末に3度、幕府の遣外使節に随行して欧米を見て回った福沢諭吉は、当時きっての開明派で日本の旧習を嫌い、西洋文明の利点を吸収すべき旨を唱え続けました。すでに慶応2(1866)年に『西洋事情』を著し、欧米の政治・経済などの事情を紹介し、翌年には『西洋衣食住』を刊行して、食器などの日常生活用品を図解して、簡単な解説を加えています。
 実際の食生活においても、明治3年に腸チフスにかかった諭吉は、体力回復のため築地牛馬会社の牛乳を服用していました。そして快癒後には、同社の要請に応じて、広告文「肉食の説」を書き、牛乳や牛肉は穢(けが)れたものではなく、体に有効であることを強調しています。さらに翌4年には、西洋料理千里軒の開店披露文を書き、肉食の効用を説いています。
 こうした考えを諭吉は自ら主宰する日刊新聞『時事新報』の社説で、しばしば繰り返しました。まず明治15年12月15日には、「肉食せざるべからず」を書いて、栄養学的観点から肉食の普及を説きました。そして肉食の対極にあった米については、翌16年5月1・2日に「農業を論ず」を執筆し、日本では古来、瑞穂(みずほ)の国と称して稲作に励んできたが、水田開発に努力するよりは、茶や桑を植え、海外貿易に力を入れて農業生産を中心とすべきではないかと述べています。さらに同31年2月23日には「日本の米」で、もともと日本は稲作には不適当な所であるから、不足分は外国米に頼ればよいとしており、翌24日の同欄では、日本人の米食一辺倒を批判し、米よりも肉に重きを置いた西洋的な食生活に改めるべきだと主張しています。
 いかにも開明派の諭吉らしい論説ですが、実際にはタイとウナギが彼の好物で、晩年には和食を好み、時折、洋食を口にする程度だったということです。