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2016年9月29日 (木)

地域を豊かに~地方創生のヒント 空き家対策「アルベルゴ・ディフーゾ」1

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ノンフィクション作家●島村菜津

 日本の中山間地は、国土の面積のほぼ7割弱であるのに対して、イタリアはほぼ8割。同じように過疎化問題を抱えています。
 山村を元気にするためのさまざまな試みの中でも、地域主導型でゆっくりと育ち、法律をも動かした空き家対策にアルベルゴ・ディフーゾという仕組みがあります。
 農家民宿との違いは、農家に限らず、山村に暮らす住民全体が参加できること。アルベルゴは宿、ディフーゾは、太陽の光線が拡散するように広がっていく、というイメージの造語だそうです。最大の特徴は、たとえ村に20の宿が点在していても、レセプションは一つでよしという点。運営も第三セクターだったり、NPOだったり、個人だったりとさまざまです。もう一つの特徴は、あくまで古民家と村の暮らしが存続するための経済活動を生むことが目的なので、例えば、頭をぶつけそうな低い天井や、お年寄りには危なそうな急な階段もOK、古民家の保存に重点が置かれています。無理して食事を作る必要もなく、可能なら朝食だけで十分なので、地元のレストランも潤い、手間も省けます。
 2年前の夏、震災後の日本に何かヒントはないかと、この仕組みが生まれた村を訪れました。というのも、アルベルゴ・ディフーゾが生まれたきっかけは、フリウリ・ヴェネチア・ジュリア州で1976年に襲ったマグニチュード6・5の地震だからです。
 犠牲者は989人、余震が長く続き、137の山村が被害を受け、全壊家屋が1万8000棟、半壊は7万5000棟、多くの人が村を離れ、遠くへ出稼ぎに出ていきました。
 このとき、コメリアンという人口約600人の村で、たとえ家主が遠方に住んでいても無数の空き家を活用できないものか、と知恵を絞り、アルベルゴ・ディフーゾを考案したのは、地元の詩人レオナルド・ザニエールさんでした。今はローマ暮らしの詩人に代わり、当初から村のために奔走してきた建築家のカルロ・トソンさんが話をしてくれました。
 「村の歴史、自然、食文化、農業や林業、祭りや信仰、それら全ての営みが、村に人が暮らし続けることでようやく存続できる。そして、過疎化によって停滞した村の営みを活性化する動力が、アルベルゴ・ディフーゾという新しい観光、交流の形なんだ」
 その後、アルベルゴ・ディフーゾを地方自治体が正式に法律化したのは、1995年、サルデーニャ州でのこと。2015年、コメリアン村は、空洞化したマランザニス集落(38軒で住民は43人)を中心にアルベルゴ・ディフーゾを展開。今も過疎化と闘っていますが、カルロさんは、「この数年、派手な史跡や美術館がなくても、自然が豊かで本物の農村文化が残るこうした地域を訪れる人がじわじわと増えているよ」と言い、これを裏付けるように、村に新たな宿を建設中のヴェネチア人投資家にも出会いました。
 日本の山村や離島でも空き家が増え、遠方の親族が他人の介入を拒むという話をよく耳にします。世界的に貴重な木造古民家も多く、何とかできないものか、と思うこの頃です。

〈写真〉アルプス地方の中でも、戦後から人口流出が最も深刻とされる東部のフリウリ・ヴェネチア・ジュリア州カルニア地方。コメリアン村の中でも、1976年の地震後、空洞化が最も深刻だったマランザニス集落


島村 菜津(しまむら なつ) ノンフィクション作家。1963年生まれ。東京芸術大学美術学部イタリア美術史卒。イタリアでの留学経験をもとに『スローフードな人生』(新潮社)を上梓、日本にスローフードの考えを紹介する。『スローな未来へ』(小学館)『そろそろスローフード』(大月書店)『スローシティー』(光文社)など著書多数。