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2017年1月31日 (火)

地域を豊かに~歩いて楽しめる町

ノンフィクション作家●島村菜津

 車社会は、私たちの暮らしに計り知れないダイナミズムをもたらしました。私は、こんな仕事をしているのに免許を持っていません。従って、自分の本の取材をする際には、長距離バスや電車が頼りですが、雑誌などの取材の場合には、車をチャーターして効率良く回ることができます。興味のある農家民宿や山中のおいしい食堂に行こうと思えば、車がなければ無理です。日本でも、地方の小さな山村や農家民宿が今後、もっと潤っていくには、車というツールは必要不可欠です。
 しかし、昨今の高齢者の運転ミスによる悲劇的な事故の多さを考えると、現代社会は、車というツールとの付き合い方をもう一度、考え直し、子どもやお年寄りが安全に暮らせる空間をつくり直していく時代が来ているようです。日本でも、車がなければ日用品も買えないような町や村ばかりになり、運転できないお年寄りは買い物難民になる。そんな町や村の形を見直し、車や公共交通手段との良い関係を模索することが急務です。
 そんな中、イタリアのフィレンツェとローマをつなぐ鉄道のちょうど真ん中に位置するウンブリア州の古都オルヴィエートの駐車場がヨーロッパでも注目されています。
 オルヴィエートは、断崖絶壁の台地の上に立つ街です。その天然の要塞(ようさい)のような自然条件のせいか、古代ローマ帝国に滅ぼされるまでは、先住民エトルスク人の聖地だったといわれています。住宅地などを周辺に広げるわけにもいかない街に、車があふれれば、当然、幼い子どもたちにはぜんそくが増え、ルネサンスのころから変わらない狭い道では、観光客も壁に身を寄せて車をやり過ごさなければならないわけです。
 そこで、この街では、あえて地下に約600台もの車が収容できる駐車場を造ったのです。幸いこの街はもともと無数の地下通路や洞窟だらけだったので、駐車場と通路の中には、古代のそれをそのまま再利用したものもあります。
 商店やホテルを営む住民の車は、どうしても地上を走るので、ヴェネチアのような静寂とまではいきませんが、住民でない者は、まず車を地下駐車場に停めて、街はゆっくりと歩いて楽しんでもらおうというわけです。こうして狭い道は、空気も騒音もかなり抑えることができ、そうすることで、地元の子どもやお年寄りもこれまで通り散歩を楽しめます。
 そして、地下に車を隠してしまうことで、守られたものがもう一つあります。自治体は、駐車場が完成した後、何年もかけて城壁の周りの遊歩道を整備し直しました。早朝や夕刻、この道を歩くと、街を取り巻くなだらかな丘の眺めが楽しめます。緑の丘に、所々に古い修道院や農家、イトスギやオリーブ畑が点在しています。ここには、1985年から5回ほど足を運んでいますが、新しい住宅が並ぶ一角ができただけで、その風景は、ほとんど変わっていません。当初は、丘を切り開いて平らなコンクリートの駐車場にする計画もあったそうですが、それだけは阻止したかったんだよ、と誇らしげに役場の人が教えてくれました。

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地下駐車場は、これといったデザイン性もない、ただの四角な空間だが、そこまでの地下道は、ちょっとスリリングで楽しい

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城壁に沿って続く遊歩道と、周囲の丘の眺め。オルヴィエートには長いこと通っているが、この風景を30年以上も維持しているのは立派


島村 菜津(しまむら なつ) ノンフィクション作家。1963年生まれ。東京芸術大学美術学部イタリア美術史卒。イタリアでの留学経験をもとに『スローフードな人生』(新潮社)を上梓、日本にスローフードの考えを紹介する。『スローな未来へ』(小学館)『そろそろスローフード』(大月書店)『スローシティー』(光文社)など著書多数。