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2017年11月30日 (木)

ハタハタ、本物のしょっつるをいただく男鹿半島の旅

ノンフィクション作家●島村菜津

 2006年の冬、イタリアで盛んな地域食材に焦点を絞ったツアーに感化されて、試しに、日本でもやってみようということになりました。初の試みなので、できるだけマスコミ関係の友人たちに声を掛けて8人ほどを募りました。そして相談を持ち掛けると、秋田のスローフード協会の2人が、ボランティアで1泊2日の旅の案内を引き受けてくれたのです。
 でもなぜ、ハタハタなのでしょう。それは、男鹿半島では乱獲によってハタハタが激減し、一度は絶滅さえささやかれましたが、漁師たちがあまたの合議の末、3年の禁漁に踏み切り、復活を果たしたというのです。
 12月のごく限られた時期にだけ見られる漁の光景は、圧巻の一言でした。沿岸漁とはいうものの、冬の日本海は青くうねり、見ているだけで引き込まれそうです。しかも20kgものハタハタを積んだ箱を勢いよく運ぶ漁師たちの平均年齢は、当時74歳。頭の下がる光景でした。そんな場面を脳裏に刻んでいると、研究者の杉山秀樹さんが、ハタハタに魚偏に神という字を当てる理由を教えてくれました。
 「昔、雷のことをハタタガミと呼んだんだ。晩秋、雷が鳴り、海が荒れて、水温がぐっと下がると、250mもの深海からハタハタは必死の思いで産卵のために藻場へとやって来る。こつぜんと現れる神の恵みというわけなんだ」
 ところが、その天の恵みを毎年、一網打尽にしていたのが激減の主な理由でした。それにしても、漁師による自主的な3年もの禁漁は、世界に誇るべき資源保護の事例だそうです。そのかいあって、ツアーの前年には約3000tの水揚げがありました。
 ところで、旅に忘れられない思い出を刻むのは、やはりおいしい料理です。地元の食通が半島自慢の「亀寿司」で用意してくれた絶品料理は、朝、入荷した日だけの限定品であるハタハタずし、雄の一夜干しの焼き物。それにハタハタとネギだけの潔いしょっつる鍋でした。
 鍋にたっぷりと注がれるのが、本物のしょっつる。やはり20年越しでこれを復活させた「諸井醸造」見学が、ツアーのもう一つの見どころです。大豆のしょうゆ造りを軸としてきたこの店の、このままでは大手に太刀打ちできないと再生の望みを懸けたのが、幻のしょっつる造りでした。使うのは塩とハタハタだけ、後は木だるに仕込んで最低3年待つだけ。こうして復活した魚醤(ぎょしょう)は、洋食の隠し味にもなる上品な味わいが受けて、今や待望の10年物も人気です。
 ツアーの断片は、新聞や環境サイトのコラムにもなり、地元に小さな恩返しもできました。流通や冷凍技術がいくら発達しても、現場でいただく味に勝るものはない、とあらためて実感させられた旅でした。単純に見えて、食文化を育む大自然の風景、働く漁師たちと加工職人、これらを深く愛してきた地元の食通たちの助言という、いく層にもなった食文化へのアプローチが、ツアーをスリリングで特別なものにしてくれました。おかげで、神の魚のおいしさは私の中に強く刷り込まれ、今も都心でしょっつるやハタハタを目にすると、つい手が伸びてしまうのです。

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3年の禁漁から復活したハタハタ

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冬、青くうねる日本海

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本物のしょっつるを復活させた諸井醸造の諸井秀樹さん


島村 菜津(しまむら なつ) ノンフィクション作家。1963年生まれ。東京芸術大学美術学部イタリア美術史卒。イタリアでの留学経験をもとに『スローフードな人生!』(新潮社)を上梓、日本にスローフードの考えを紹介する。『スローな未来へ』(小学館)『そろそろスローフード』(大月書店)『スローシティー』(光文社)など著書多数。新刊に共著の『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化』(誠文堂新光社)。