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2016年4月

2016年4月26日 (火)

こいのぼり

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一般財団法人日本気象協会●檜山靖洋

 こいのぼりの季節になりました。大きなこいのぼりが、ダイナミックに空を泳ぐ姿は優雅です。こいのぼりに似たもので、道路沿いや工事現場などに吹き流しがあります。
 吹き流しがほぼ真下に垂れ下がっているときは、ほとんど風がないか、せいぜい風速2m毎秒くらいのそよ風です。斜め45度の角度になっていればだいたい5m毎秒以上の風、真横になっているときは10m毎秒以上吹いていることになります。吹き流しが真横になっているとき、車の運転は注意する必要があります。
5月は低気圧が発達し、時に「メイストーム」と呼ばれるような暴風が吹き荒れることもあります。こいのぼりが、あまり大きく暴れ回らない天気がいいですね。ところで、こいのぼりの季節になると、高速道路沿いの吹き流しが、こいのぼりになっている所もあるようです。粋な計らいですね。

オクラ~手軽にできる有機ベランダ栽培

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明治大学特任教授●佐倉朗夫

 オクラは暑さに強く日本の夏には最適です。他の野菜が夏バテする中で青々と生育し、10月上旬まで栄養豊富な実と黄色いきれいな花を楽しませてくれます。さらに、害虫被害を抑制する効果も期待できるので、夏の有機コンテナ栽培の一つはオクラにしましょう。
 種まきは5月に入り地温が上がってから行います。購入苗を植えてもよいですが、直根性のために植え傷みすることもあります。オクラの種は皮が堅いので、一晩水に漬けてからまくと発芽が良くなります。
 まず、コンテナの土に、缶コーヒー(200ml入り)の空き缶などを使い、深さ1cmの種をまくくぼみを付けます。間隔は15cmで、コンテナの長さが60cmの場合は4カ所にまくことになります。種は1カ所に4粒まき、周りの土を寄せて種の上に薄く掛け(覆土)、軽く手で押さえ(鎮圧)、水やりをします。
 この後、種をまいたへこみを除いた全体に枯れ葉や枯れ草をごく薄く敷き、乾燥を防ぎます。
 4~5日で発芽するので、本葉が3~4枚になったら2本に間引き、本葉5~6枚で1本立ちにします。間引きははさみを使い地際から切り取ります。
 コンテナ栽培では畑で育てるほど草丈は伸びませんが、倒れたり傾いたりしないように長さ1mほどの支柱をそれぞれに立て、支柱同士を横に連結し倒れないようにします。
 オクラは肥料を多く必要とし、収穫も長期にわたるため、肥培管理が重要です。追肥は、最終間引きどきと花が咲きだしてから2週間に1回の割合で行います。4株当たりぼかし肥料20gをコンテナの縁に沿って株の両側に均等に施します。水やりは生育が旺盛な真夏にはほぼ毎日になります。
 枯れ上がった下葉は早めにはさみで切り取り、収穫は果実の長さ8cmを目安に若取りすることで、木への負担が少なくなり実付きが良くなります。

福沢諭吉と米

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国士舘大学21世紀アジア学部教授 ●原田信男

 幕末に3度、幕府の遣外使節に随行して欧米を見て回った福沢諭吉は、当時きっての開明派で日本の旧習を嫌い、西洋文明の利点を吸収すべき旨を唱え続けました。すでに慶応2(1866)年に『西洋事情』を著し、欧米の政治・経済などの事情を紹介し、翌年には『西洋衣食住』を刊行して、食器などの日常生活用品を図解して、簡単な解説を加えています。
 実際の食生活においても、明治3年に腸チフスにかかった諭吉は、体力回復のため築地牛馬会社の牛乳を服用していました。そして快癒後には、同社の要請に応じて、広告文「肉食の説」を書き、牛乳や牛肉は穢(けが)れたものではなく、体に有効であることを強調しています。さらに翌4年には、西洋料理千里軒の開店披露文を書き、肉食の効用を説いています。
 こうした考えを諭吉は自ら主宰する日刊新聞『時事新報』の社説で、しばしば繰り返しました。まず明治15年12月15日には、「肉食せざるべからず」を書いて、栄養学的観点から肉食の普及を説きました。そして肉食の対極にあった米については、翌16年5月1・2日に「農業を論ず」を執筆し、日本では古来、瑞穂(みずほ)の国と称して稲作に励んできたが、水田開発に努力するよりは、茶や桑を植え、海外貿易に力を入れて農業生産を中心とすべきではないかと述べています。さらに同31年2月23日には「日本の米」で、もともと日本は稲作には不適当な所であるから、不足分は外国米に頼ればよいとしており、翌24日の同欄では、日本人の米食一辺倒を批判し、米よりも肉に重きを置いた西洋的な食生活に改めるべきだと主張しています。
 いかにも開明派の諭吉らしい論説ですが、実際にはタイとウナギが彼の好物で、晩年には和食を好み、時折、洋食を口にする程度だったということです。